平田翁最後の御目的

此処に収録しましたのは昭和七年に発刊された「国学院雑誌・平田篤胤特集号」に掲載された小論文です。
これをお書きになられたのは星野輝興氏。尚、氏はかの宮地嚴夫先生のお弟子さんに当たる方です。それ故に他の方とは異なる視点で平田翁のことを論じております。

文中に何度か出て参ります、「久延彦(くえびこ)(久延毘古)」は平田大人が常に拝し、崇尊していました神です。久延毘古命に就きましての詳細はまた後日アップ致します。
平田翁最後の御目的
星野輝興 著述

 平田翁の最後の御目的は何であったか。鉄胤先生が玉襷の末の年譜に記されたものに依ると、古史傳がそれで、自余のものは、凡てこれが為のものであったと言うことになっている。そうしてこの見解は、単に鉄胤先生御一個のものでなく、御門下一統のものと見て差し支えないと思う。それは翁の没後、御門下の首脳連が、古史傳の完成に全力を注がれたのでも分かるからである。

 ところが、自分の師匠の宮地嚴夫先生は、この首脳連とも交渉があった方にも拘わらず、最後の御目的については、全然異なっていた。即ち師匠が言われるには、翁の最後の御本意は、霊的生活の無限の向進であった。
 それは「赤縣太古傳」を主にして「黄帝傳記」「天柱五嶽余論」「葛仙翁傳」から、更に葛仙翁の文粋までも載せられた一面、「仙境異聞」「勝五郎再生記」「神童憑談略記」「七生舞の記」「霧島山幽郷眞語」「稲生物怪録」を著わされたと言うこともあるが、平田家二十五部秘書の一である、「密法修事部類稿」の末にある久延彦の傳の如きは、他の御著書からは想像もつかない大がかりの霊の御実修であるのでよくわかる。で自分はこれが翁の最後の御目的であると同時に、之が平田学の正系であると信ずる。
 然るに多くの学者が之を悟らず、此の方面の継承せんとするもののないのは、実に遺憾である。故に身不肖なりといえども、翁の眞意を体して之を発揚せんとする。で、おこがましくはあるが、自分こそは平田学の正系で、しかも唯一の継承者と確信している。汝亦吾が意を体せよと言うことであった。

 師匠がかく言われることになったに就いては、御一族に宮地堅磐と言う方がおられ、霊界によく通ぜられたと言うことも一因をなしたものと思われる節もあるが、とにかくこの点非常な確信を持っておられ、以上の如きお話があったばかりでなく、御著述から言っても、後継者を以て任ぜられたものが頗る多い。
 例えば其の内の国家学談の如きは、正に翁の萬学一握り式のもので、「祭天古俗弁義」は翁の意気を再現されたもの、「世界太古傳」は未定ながら「赤縣太古傳」の精神を伸張せんとせられたもの、「本朝神仙傳」は翁の霊方面の御本意を学門と実地とで明らかにされたもの、若夫れ葛仙翁の抱朴子の地眞巻の釈義稿に至っては、「赤縣太古傳」と「天柱五嶽余論」と「葛仙翁傳」及び文粋の結晶これなりと言う意気込みのものであり、更に翁の最後の御目的に端的に突っ込んでいかれたものは、神道要領を手ほどきにしての自修鎮魂法要訣であった。否其の実修であった。

 平山省齋氏の修道眞法に
 
 『天神憫之、受饒速日命、以鎮魂神法、曰唱一二三四五六七八九十百千萬六言四句祝文、誠祷則有死人亦蘇生之霊験矣、大岳翁、亦晩年深信、示入室徒弟、以唱斯文数千遍、以精祈、且誡勿妄示常人』

と言うことが見えているが、翁は意外にこういう方面に深く進んでおられ、相当あがかれたと思わると同時に、師匠の主張がまんざら一箇の見方では無いと言うことも窺われるような気がする。それに物の道理から言っても、荀しくも神道を云々する以上、事ここに至らなくては納まらぬものと思われるばかりでなく、翁の如き物の究極を掴まないうちは止まない方、例えば道儒佛の究明だけで満足せず、遂に二十五部秘書の一たる自鞭策にまで行かれたということもある位であるから、霊的方面のことも、其の編述だけでは満足が出来ず、事ここに至られたのは、実に当然過ぎるほど当然のことと思う。

 然し自分は此の霊的生活の無限の向進を計られたのみが、翁の最後の御目的であったと言う師匠の御意見に同ずるものではない。何となれば、久延彦の傳式の霊的生活の完成も確かに最後の御目的であったには違いないが、「古史傳」の完成と言う事も確かに最後の御目的であったからである。是を分かりよく極言すれば、翁の事業の結果からは、国境を認めない霊的生活に深く踏み込まれたが、其の一面に純日本人としての心的生活の徹底を期されたからである。

 然らば最後の御目的はこの二つであったかと言うと、結果からはそれに違いがないが、翁の御気持ちは、之を二つとは見ておられなかったと思う。否一つであると思うて進められたところが二となって現われ、しかも其の二がいずれも未完成であったばかりでなく、両者を一つにしようと焦れば焦るほど隔絶し矛盾し果ては葛藤が生じ、おまけに日暮れて道遠しと言う実情とあったので、かなり苛立たれ焦られたようである。
 彼の未定稿本、就中門外不出の二十五部秘書と言われたもののうちは、この点が余りにも歴然たるものがあって、実に涙なくしては拝見が出来ないものがある。翁がこの世を去り給うに当たり

   『思うこと一つも神に務め終おへず、今日やまかるか惜らこの世を』

と言う御辞世をお遺しになったが、これは決して謙遜でもお世辞でもなく、其の当時の御心中を如実にお詠み遊ばしたもので、自分は上述のことを回想する毎に、この御辞世が思い出され、胸が強く打たれる。

 そうしてこの事は、独り翁に見るばかりでなく、本気にやろうとする神道人の常に悩まされる問題である。現に斯く言う問題も、師匠との間に、この二について彼此があった。と言うのは、師匠によって霊的生活の向進が或る程度に進んだ時、自分に一の疑問が出た。お互い日本人はこれだけでよいのか、これから師匠と自分との間に、少々経緯が生じた。ところが師匠が帰幽に当たり

   『天地と共に栄えむ大御代を、いはひまつりてゆくがたのしさ』

と言う辞世を遺されたので思わず分かりましたと頭が下がった。けれどもこれは両者の結論だけで本論ではない。肝心の本論はとうと伺うことが出来なかったと気が附くと、一瞬の歓喜はやがて永恒の失望となったが、間もなく、この論をどう説くかは、師匠が自分に遺してくれられた課題であると思い直して、今にこの開拓に汗みどろになっている。

 だがよく考えると之は師匠が自分に遺して呉れたものであるばかりでなく、既に翁が一般の神道人に遺されたもの。尚言うなれば、神が日本人全体に課せられたものであった。この国民としての心的生活と世界人としての心的生活、この両者の綜合・調和。それが成る成らぬは、世界の日本か、日本の世界かの分かれ道である。
昭和七年八月七日

上記文中の「密法修事部類稿」は全十巻でありますが、篤胤全集でも公開されているのはその第四巻まででございます。従いまして上記の『久延毘古の傳』は残念ながら如何なるものかを吾々は窺い知ることは出来ません。


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