神道・神仙道の眞の目的
 
 現在の神道界で篤胤大人の評価はご存知の通り、高いものではありません。やはり宣長翁が国学の代表格であるとの評価です。そして古事記の解説書としても宣長翁の「古事記傳」が最高峰であるとされております。
 何故宣長翁のお考えが神道の最高到達点であり、篤胤大人のお考えが受け入れられて居ないかの一番の要因は、篤胤大人の
『幽冥観』にあるのは間違いありません。
 篤胤大人と宣長翁の一番の相違は神道を実践しているか否かと云う事です。宣長翁は飽く迄も学者の域を脱しておらず「学理」のみを追求していました。対する篤胤大人は学理と共に「行法」も行っております。
 神道とは理論構築だけでは片手落ちであり、「学理」と共に「行法」が伴ってこそ眞の神道の実践となります。平田内書25部(全集にも収蔵されておりません)の内で最奥義は『久延毘古の傳』と称されるものであるとされています。
 此れを断言出来ないのは上記の『久延毘古の傳』が公開されて居ないからであり、其れは篤胤大人の故郷の秋田の「彌高神社」若しくは東京の「平田神社」に秘蔵されていると云われております。

 秘蔵されているものであるため、吾々がその内容を伺い知ることは出来ませんが、推測するに憑代に神を降ろす方法を述べているものなのだと思われます
『密法修事部類稿』は4巻までしか公開されておりませんが、此の書は10巻まで存在しています。この未公開の巻にこの『久延毘古の傳』が載っている可能性が高いようです。
 通常の解釈ですと『密法修事部類稿』は単に密教(佛教)の禁厭祈祷の研究書とされているようですが、その実は本書にこそ篤胤大人の最終到達点が示されているのです。

 内書25部には神遷に関するものが頗る多く、如何に篤胤大人が後年、玄学に傾倒していたのかを知ることが出来ます。残念ながらこの方面の研究は現在の神道界では口にしてはならぬ程の扱いを受けています。
 即ち、篤胤大人は宣長翁の『古事記傳』に比類する『古史傳』を完成させることに全精力を費やしており、それ以外の書は附会(単なる解説書)であると云う考え方が主流なのです。

 ところで前記の久延毘古命は篤胤大人の主要著書である『玉襷』でも詳説されております。
 古事記にこの久延毘古命が出てくる件は非常に唐突で、わたくしはこの箇所に非常に違和感を覚えております。しかし宣長翁の古事記傳でもこの久延毘古命に関する記載は単に表面的な解釈に終始しています。このことに篤胤大人は不満を覚えており、特に晩年はこの久延毘古命に対する執着は大きなものであったとされております。

 それは篤胤大人の境遇に強く関わって参ります。晩年、江戸を放逐された篤胤大人は傷心を抱きながら秋田に帰郷しました。
 久延毘古命は「案山子」であると解釈されています。即ち、一本足で歩けぬ存在であり、田畑を孤独に見届ける存在です。
 この案山子の境遇を篤胤大人は自分の姿に重ねて見られていたと伝えられております。秋田の地から動けぬ存在であり、尚且つ崇高な生活を行うことに自分を重ねて見られたのです。
 このような境遇も重なり、晩年篤胤大人は一層久延毘古命を重視するようになっていきます。

 篤胤大人の本心を吐露している書はやはり「仙境異聞」「赤縣太古傳」等の神遷研究(玄学)書にあるとわたくしは思っております。この方面を引き継いで研究されたのが宮地常盤先生・矢野玄道翁だけでした。そしてその常盤先生の嫡男であられた水位師仙が宮地神仙道として平田神遷思想を大成されたのです。

 残念な事に此の流れを追う研究者・学者は現在殆ど居りません。篤胤大人の最終目的は『古史傳』を完成させることにあると学界などでは決め附けられている現況がその大きな原因の一つです。又、宮地神仙道に関する資料が殆ど相傳であるため、一般の国学者・神道学者には入手不可能であることもその一端を担っていると思います。

 上記のような事由に由り、篤胤大人の平田神道と宮地神仙道を関連付けて考える方は皆無なのが現況であります。しかし高天原が「北極紫微宮」であると断言したのは篤胤大人が最初であり、それを生身の体で証明したのが水位師仙です。(支那の道蔵にはこの北極紫微宮に関する記載が多く見受けられます)

 篤胤大人が大きく傾倒していた葛洪の『抱朴子』を読みますと個人的な問題に終始していることに気附かされます。此れが支那の神仙思想の特徴であることは既に皆様ご承知でいらっしゃるでしょう。宮地神仙道でもその究極の目的は
「霊胎凝結」にあると云われています。一見、この法の目的は極めて個人的なものであるかの如く解釈されます。
 しかし宮地神仙道でも天皇の存在は大きく、決して個人的な問題に終始している訳ではありません。平田神道の項目に載せた星野輝興氏が論じていますように、篤胤大人の本当の目的は、
 「死後の霊的生活の向上にある」
ことにわたしは共感して居り、今までに無い斬新なご意見であると云う事が出来ます。実に的を得たご指摘をされておいでであると思っています。

 しかしそうなりますと平田神道や宮地神仙道の最終目的は個人的な問題を扱うものとなってしまいます。果たして篤胤大人や水位師仙の最終目的がそれほど偏狭なお考えでありましょうや?

 そこでわたくしはこれを以下の如く解釈しています。
 即ち、幽界(かくりよ:神仙界)と顕界(うつしよ)とは密接な関係にあり、幽界の事象が顕界に反映されます。即ち顕界の世界が平らけくあることは幽界の安定が不可欠であると云うことが出来ます。幽界の安定を図るには神仙界の政事がしっかりと行われることが不可欠です。これは幽界が「主」であり、顕界は飽く迄も「従」である関係にあることも其の要因の一つでありましょう。
 神仙界とて悪鬼等との戦いがございます。神仙が戦争をしていることに疑問を感じる方もいらっしゃるでしょうが、これは水位師仙の「異境備忘録」にも載っている紛れも無い事実です。その戦いの収拾や、政事を滞ることなく粛々と進めていくためには自ずと優秀な人材が必要となります。
 
 篤胤大人が究極目的としていた霊的生活の無限の向上とは、上記の如く幽界の安定に直結するのです。即ち、神仙界での紛争の解決や政事が滞ることなく進められる為に、本当に微力ながらでもその安定に寄与出来るよう吾々は顕界で日々弛まぬ修験・努力を重ねていく必要があると云うのが篤胤大人の本心なのだとわたくしは解釈しています。

 神道で重視されている日々の日拝で大祓詞を霊誦することの意は国家規模の安定を目指すものです。此処には個人的願望が入る余地はございません。禊祓をして清浄な心身を以て国家規模の安定を祈念することこそ神道の眞のあるべき姿であると断言出来ます。即ち顕界にいる時には幽界での霊的生活の向上を図るために「積徳陰善」を行い、神仙に眼を掛けて戴くことを願うのが神道人としての正しい生き方なのだと思います。しかし死後の霊的生活向上を目的とした積徳陰善では本末転倒です。其処で見返りを求めない無垢な赤心が神道には求められます。
 「情けは人の為ならず」なる格言がありますが、その意味は通常、他人に情けをかけ、親切にする行動を行うことは、その反動が巡り巡って自分の所に何らかの見返りとなって返って来ることだと云われています。
 このような見返りを期待しての積徳陰善では本来の意味からは遥かに乖離しています。自分の行動は常に神仙に見られていることを意識することが大切です。他人に親切にすることは『当たり前』な行動であると神仙は見ます。そこに見返りなど求めてはならぬのです。

 神道の真髄を言葉で端的に示すと以下の三語に盡きると思います。
 即ち、
  『積徳陰善』・『滅私奉公』・『御蔭さま』
以上の三語です。
 積徳陰善は上記に説明をしたので省きますが、後の二語に就いて少々述べてみたいと思います。
 滅私奉公とは江戸時代によく使われていた語でありますが、現代的な意味からすると、如何に我欲を捨てて公(おおやけ)の為に盡くすかが問われると云う義です。御蔭さまの義は、人間は自分一人で生きて居るものではなく、現在自分が生きていられるのも通常意識していない、太陽光や空気の存在そして親の存在などがあってこその自分であり、決して何の恩恵も受けずに生きて居る人間など居ないのであると云う事を示します。

 神道の柱として二つの基本的思想がございます。
 一つは、日本国体の安穏たることを祈念し、天皇家の弥栄たる事を祈念する事。
 もう一つは祖霊に対し感謝申し上げ、祭祀をする事。
以上二柱があります。
 しかし二つ目の柱である祖霊祭祀は天皇家の弥栄たる事に直結します。
 即ち、日本國民は全て神の子孫であり、其の祖先を祀ると云う事は皇祖であります天照大御神を拝する事と同義であります。拠って天皇家の弥栄たる事を祈念する事と祖霊祭祀を行う事は広義で同一の意味を持つのです。

 また、篤胤大人が「神仙」では無く「神遷」の文字を使っていた事も見逃す事の出来ぬ事であります。「神遷」なる語は人間が遷って神になると云う意味を含んでいるのです。即ち、「神遷」の語が附く法は人が神祇・神仙に遷る為の方法を示しているに他なりません。
 先に記した顕幽の意味を此処で再び考察するに、幽界の情報は顕界に取って大いに有用です。何故なら顕界の騒乱の元は幽界にあるのですから、その元の騒乱の眞因を知る事が出来れば顕界の騒乱も多少緩和する事が出来る可能性を秘めていると云う事です。
 此処で神遷と云う語が活きて参ります。即ち、顕界に於いて霊胎凝結が出来れば自ずと幽界に行く事が可能となります。顕幽の壁を乗り越える事が出来るようになると換言しても宜しいと思います。顕幽の壁を破り生身の体で幽界と顕界を往来する事が出来れば幽界の情報を顕界に齎す事が可能となり、顕界の騒乱の眞因を知る事が出来るのです。
 眞因を知る事が出来れば、自ずと其の対処法も見えて来るでしょう。
 このように幽界の情報を顕界に齎す為にも「霊胎凝結」が必要なのだと断言出来ましょう。
 しかし此処で一つ問題がございます。其れは、幽界の情報を広く一般に知らしめる事は冥罰の対象となると云う事です。
 幾ら有用な幽界の情報を知ったとしても其れを有効に使えなくては全く意味がありません。
 幽界の有用な情報を顕界で活かす為には其れなりの立場に立つ事、若しくは広い人脈を顕界にて作成しておく必要があるのです。
 其の為に社会的立場を確立しておく必要が生じます。
 方全先生(宮地巌夫先生)は明治天皇の信任が厚く、恐らく幽界から齎された情報を日本の為に有用に活用していたのではないかと思われます。方全先生は日本の顕界のトップに近い存在でしたので、幽界の情報を有用に活用する事が出来たのです。
 吾々神道・神仙道を学ぶ者は方全先生を見習い、顕界での社会的立場も確立しておく必要があります。
 幾ら顕幽の壁を越えて幽界の情報を顕界に齎しても、其れを有効活用出来なければ何の意味もございません。
 神道・神仙道を実践する者は以上の事を常に念頭に置き、日々修験をする必要があるのだと思います。
 ですから「霊胎凝結」は個人的問題では無く、大きな問題を抱含しているのです。顕界の騒乱を少しでも無くす為に霊胎凝結を修すると云えましょう。

 水位師仙と同じく謫仙であられた紫龍仙師が常々強調していたのは、

「佛教は自分の祖先の安穏たることを祈る。しかし神道・神仙道では全ての鎮まっていない霊に対して安鎮たることを祈る」
と云うことです。
 自分の祖先の幽界での生活が安穏であることを祈念することは当然ですが、他の鎮まっていない霊に対しても安鎮して戴くよう祈念する気持ちが大切であると紫龍仙師はおっしゃっております。
 此の思想は、数多の鎮まっていない霊が顕界に於いて悪行をすることを阻止することに通じます。即ち、紫龍仙が強調していたお考えの視点の先には顕界の騒乱の排除が含まれているのです。

 以上のように水位師仙、紫龍仙師の両師は顕界の騒乱を収める為に神道を修する事が大切であると説いていらっしゃったのであります。


2007年2月23日 謹記
2008年2月1日一部改稿