太初玄運魂魄分属図説



此処には「太初玄運魂魄分属図」なる図を解説したものを収録致しました。
残念ながら図を公開出来ません事をご了承下さい。
尚これは篤胤全集には載っていないものですので、今回の公開が恐らく一般向けに公開されました初めてのことだと存じます。
此処からは篤胤大人のお考えが強く感じられる極めて貴重なものであります。
一部、以下の訳では分かりずらい点もございますが、今回は敢えて此処は修正せず公開致します。

古へ、天地(あめつち)未だ成さざりし時に、高天原という所謂(いわゆる)「天極紫微宮」の上に、天之御中主の大御神と申す大神坐して、其の大御徳に因り、高皇産霊之大神、次に神皇産霊之大神と申す男女二柱の大御神成り給い、此れを神漏岐・神漏美之命とも、高天之加夫漏(かぶろ)之命とも申し奉る。此の大神等のいと奇異(くしび)なる大御霊(おおみたま)に因りて初めて大虚(そら)に言い難き一物成り出で、後に分かれて其の(すみ)(あか)れる物はたなびき登りて天津日之国と成り、重く濁れる物は沈みて大地と成り。(世の人、これが御紀に漢籍に因りて、潤飾文を添え給りとのみ、一向に思うは詳しからず、それは釈日本紀に因るに、固より仮名日本紀なる古伝なるをや)。いといと濁れる物の極みは夜見之国と成る。斯くて高天之加漏之命は天地のみならず、あらゆるよろずの世界(くに)をも、又八百萬之神をも、人種万物をも成し出で給う御事にて、日之神天照大御神さえ、()()()と詔給いける。

 又、皇産霊之尊と申し奉る御名の義と、古伝の事実に於いても昭晢(あきら)けき明徴あるを、先師等の詳しく説明(ときあか)されしが如くにて、古事記の序に「乾坤初分参神作造化之首」と見え、宣長翁も「諸事の成り出ずる本は、神むすび、高むすびの神の結びぞ」と詠れたり。そうとは云え、此の大神等の御上にはいまだ御交合の因る事には非らざるを、多加と申す御称は多加志、多加流、多支、多支津、多介、多介支、多支志など活きて、自ら成り余りて雄々しく健く剛く動き進みて止まざる様を含み、加美と申すは、加備、加牟、加武流、久比、久布、久牟など活き通ひて、自ら成り合ず、陰々(めめ)しく静けく、柔和けく(へだ)(くだ)り、(あい)て争はざる様をぞ含めり。されば天津国は神ながらに、神漏岐命に(あえ)奉り、大地及び夜見の国は神ながらに神漏美命に肖奉りて成りにしこと、今更論ずるまでもない。天津国は高く、大地の下きは斯く神ながらの(ことわり)にて、男は高く女は卑く、夫は尊く婦は賎しく、君主は尊く臣下は卑く、父母は貴く子孫は賎しきなる道は先づ此れになむ立てりける。

 さて、神漏岐命の大御徳は、伊邪那岐の大神の御受嗣まし、神漏美の命の大恩徳は伊邪那美の大神の御受伝ひ給いしが、此の二柱も神御徳終え給いて後に、男神は天津国に参登りて、復命白し給い。女神は夜見の国に罷り入らせ給いて、さてその二柱の命の神徳は日ノ神・天照大御神と月ノ神・須佐之男との御受伝へ坐す事は、申すまでもない。

斯くてかの(すみ)(あか)れる日御国を知食しめす大御神と、重く濁れる月の国を統御す大神との御宇気比の時に生まれ坐し、宇都ノ御子は皇美麻尊の御代々、天地と、とこのはに、此の清陽き物と濁れる物との混成れる。大地の顕明(あらは)(ごと)をば、総て聞き食し、月ノ神・須佐之男ノ大神の御真名子と坐す、大国主ノ大神の八十(やそ)(くま)()に隠れ待い坐つつ、月日と共に永久に幽冥(かくり)(ごと)を治め給う御事はも、やがて皇産霊之大御神、天照大御神の神御量に出て、その大御詔と定させ給いし。天地の有る限り、遷り易る事なき●典になも有りける。

さて(いにしえ)より人は一個の小天地と云い伝えられるのは、まさに此の説である。生まれ来るは偏に父母の賜物ではあるが、大元は皇産霊之大神、伊邪那岐之大神、又五元の大神である風ノ神「級長津彦ノ神、級長津姫ノ神」、火ノ神「火産霊ノ神」、金ノ神「金山毘古ノ神、金山毘売ノ神」、水ノ神「弥津波能売ノ神」、土ノ神「埴山姫ノ神」の御功徳(いさを)に頼る。(漢人は、此れを木火金水土と云いて五行と為し、天竺なる梵志家に四元として、風火水土とし、後には地水火風の四大と称し、西洋にて気火水土の四素と云うなど共に我が古伝を訛しものなるが、凡て人の本魂は、瓊戈の如く、専ら金神の霊により、和魂は風ノ神・火ノ神の霊、荒魂は水ノ神・土ノ神の霊に頼る事と聞こえたる。)

人は産土神、氏神の御周旋(はからい)に因りて、此の世に生まれ来し物である。されば精神の住所を久毘(くび)と云うは、(くし)霊の意であり、加美(かみ)とは神の義である。加志(かし)()とは(かみ)(しら)を謂う。阿多(あた)()とは(あり)(たま)の称である。多万(たま)志比(しひ)とは(たま)(くしひ)の由である。久毘の比と同じく共に皇産霊之大神より分り給いりし由の称なるを万葉集の歌に「いなだきにきすめる(たま)は二つなし云々」と詠み、世に稚児に教える語に、阿太麻天帝と云えるに思い合わすれば、共に天神より給える霊神の人身に取りては天国とも云うべき頂上に居住せる由を、遺せる古伝にぞ有りける。

されば己がじし、天神より賦り給える霊神を鎮め守りて放り失わず、心思いを清く正しく身を修め言行を慎み、内は父母兄弟に孝順を致し、上は天神地祇に大皇に至忠を持って仕え奉ろい、外は朋友によく親しみ睦び、下は妻子親族臣隷をも恵慈(めぐみ)など、よろず真の道に怠懈れる事なく、朝に夕にいそしむべき事、また更に言を積むまではない。

斯くて此の世は仮の世にして、後の世こそ長く遠き眞の世である。仮の世に居る間は、産土ノ神・氏神共に幽冥より守り給いつつも、顕明世は其の世の教政に循由らしめ、大方は己も己も心のゆくままに務めしめて、其の徳の正邪勤怠などを試み試し給う事と聞こえて、世を罷りて後に、荒魂は地につき、和魂は天につく理なれど、産土の神、氏神等の本魂また和魂荒魂共に率いまして幽冥の大主宰と坐す大国主ノ大神の神廷に参集ひて、其の人の生涯(よのきはみ)の徳行の善悪(よしあしき)、また功罪の多少に因りて公明正大なる至当の御処置を受け給れる事にて、良き人は天津国に(つき)たる神仙界に召し給い、尚、いといと功徳の卓れて高き人は、天津国にも参上らせ給い、其の鬼界に退け給い、又いとも悪しきは予美の国にも神やらひ給いなど、おきてさせ給う御事なれば宣長翁も「顕世の事は大皇、神ごとは大国主の神の御心」と詠まれ、一条禅閣殿も「人悪を顕明の地に為せば、即ち鬼神是を罰す。善を以て福を獲るも亦之に同じ」とぞ宣へりける。かく皇神の道に協へる良き人は、御褒美を賜い、其の道に違える悪人には御罰を蒙ること、他のさまで例を引くまでもなく、上に見えし清陽れる者は昇りて天となり、重く濁れる者は沈みともりて地となりし。神ながらなる理にて図の如く恐れけど国生ましし大神、日月ノ大御神たちも共に此の大地に生まれ坐して、後には天津国と夜見の国とに行幸しを、考え奉りて凡人の上の事も想像(おもひや)るべくなん。

さても件の大神達の皇道に背き、其の大御徳をかりそめにも忘れ奉りては、此の世に在られまじき理はよく古伝古意を得たらん人は八重の雲霧を掻き分けて、大空の日月の御陰を仰ぎ見たらむ如くならましを、なお漢酒に酔されたし徒は、いぶせきまくも有りぬべきを、それは殊に皇神の他国に伝ましし玄家、天竺なる梵志家に伝われる古説、さては御世々にありへし証徴(しるし)をら、委曲に引き出て、つみ知らせてむとす。

尚、幽冥の有様は人間の思量とは、ふつに永炭相違える由にて、甚だしき乱臣賊子が時ありて悪技を専らにし、又道知らぬ戎夷らが、神明に対奉りて、不義無礼(いやなきわざ)を行い、穢れを為しなどしてもさしも罪し咎め給う事なきは、深き縁あることにて、師説も余が考もあれど所せければ洩らしつされど皇道に背き奉りて、外国の教えを信じる人等の正しく神罰を受けたるを、些か摘いでは、

 蘇我馬子らの末裔も悉く滅び坐まさず、又、佛者の中にも明恵解脱を除いては、多くの魔界に入りしと云い、近世にては大友宗麟、高山友祥、小西行長等の事を見ても明らかなことであろう。

尚、神洲の人と生まれて精魂を(うしな)はざらむ徒は能く(おも)い、能く慎むべく事こそ肝要である。

       明治元年 冬十二月

                                     平田延胤謹図 角田忠行 同

                                     矢野玄道謹述 丸山作楽 校


 本書では明確に高天原は北極紫微宮であることを説いています。しかしこのことは宮地水位師仙の書かれた『異境備忘録』で初めて実証されたものですので、異境備忘録が現在のように一般の方が自由に手に入る時代なってようやく最認識されているようです。
 しかし残念ながら未だにこの北極紫微宮の存在は学会では容認されておりません。ですから高天原の存在云々の議論が続いているのです。
 篤胤大人もこの考えを公開することにはかなり慎重な姿勢を見せていましたが、晩年には此の説に自信を持ち、あちらこちらの書に散見されるようになりました。
 早く此の説に就いて学会でも正式に議論を進めて戴きたいものです。

 
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